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011 セキスイハイムM1
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女、もしくはプレファブリケーション
2011年12月24日
「滝壺のところって、気分がすっとするじゃない。あれは陰イオン。
鉄骨造の超高層ビルは陽イオン、だからみんな、おかしくなっちゃうのよ。
でもそういえばM1は鉄骨ね。ふふふ。」
富田玲子さんは、そう言って笑った。
戦後の建築史には、女性が少ない。
聞きたいことが積もりに積もった質問の数々は、
ふわっとかわされてしまった。
生活改善の主役は女性だった。
時代的にはプレファブリケーションによる規格標準化が、それに重なる。
それらはまぎれもなく運動であり、思想であった。
セキスイハイムM1の思想は、建築の使用者にも、
生活の変化に合わせて居住空間に手を入れることを求めた。
彼女たちの聖域である台所。そこからつながる電線、ガス管、水道管は、
地域へ、世界へ広がっている。
だが「そこそこの生活」を手に入れた人々の想像力は、
広がりを失い、袋小路に陥っているかのようにみえる。
M1は住まい手、建築物の使用者に、期待しすぎたのか。
M1が象徴する民需中心の技術革新は、戦後史における選択の一つでしかなかった。
いったん規格標準化された技術を、自分の手元で組み替える。
手を離れた“もの”に触れ、それを取り戻すことは、いかにして可能か。
「3階は増築。なんか息が詰まるからさあ、天井をとっぱらっちゃった。」
林泰義さんも、そう言って笑った。
勾配屋根の傾斜に合わせて、すっきりと広がる吹き抜けには、
M1を構築する鉄骨が剥き出しになり、
折板が溶接されていたタイトフレームが、拉げたままになっている。
徐々に手を入れ更新していく、居住空間の喜び。
それを「小さな建築」と呼ぶのかもしれない。
選択から抜け落ちた技術が、あるような気がしている。(t)
セキスイハイムM1
場所:東京都世田谷区
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