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004 妙寿寺
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継承、あるいは墓
2009年9月12日
住宅街を散歩していると、塀に囲まれた墓地に出くわすことがある。周りの建築物に囲まれ空が高い墓地では、ぽっかりと視界が広がる。死が積層し、継承(承継)される供養の土地ゆえに、墓地は土地の効率的な利用のための高層化を免れている。先祖代々、継承される地下世界に対し、高層化する都市とそこでの生活、地上世界は、上下対称に同居している。なんだか不思議な開放感。
関東大震災(1923年)の後、被害にあった浅草、築地、本所の寺院が移転し、烏山寺町が形成される。妙寿寺も深川猿江から移転された寺院のひとつであり、内務省復興院で区画整理事業を行った内田祥三は、麻布狸穴にあった旧鍋島家住宅を客殿として移築、その改修は内田祥哉が行っている。また寺内には、家族制度の変容に伴い、「家」ではなく「個人」として利用するための永代供養墓《正隆廟》も建立されている。設計は内田祥士。
受け継がれるものは、ときに柵(しがらみ)にもなる。家督、村のひそひそ話、あるいは遺伝による大病もあてはまるかもしれない。戦後日本の建築家たちは、生活の合理化、封建的なものを克服する機運に乗じ、住宅の設計を通じてそうした柵を乗り越えようとした。だが戦後小住宅、都市住宅と名前を変えながら時間を経ても、ハードとしての住宅にいろいろな思いをつめこむ方策は、それほど代わり映えしていない。
そのような地上世界、戦後の住宅郡を、時代精神として読み取り、記述することには限界がある。建築物を竣工当時のみを記すお墓、記念物のように扱うことは難しい。ピカピカな石のお墓にお参りに行っても、なんとなく落ち着かないことと似ている。いつ建てられたのか、碑銘も読めないような石こそ様になる。
いわんや様式をや。《正隆廟》の野面積みされた鉄平石は、鈍い光を帯びている。継承された時間を経て、妙寿寺の寺内そのものが、モダニズムの様式化、様式としてのモダニズムを示しているかのようにも見えた。乱暴な議論は百も承知。ともかくも、時間を経て劣化した素材のテクスチャーはどう表現できるか、という話になった。また田中文男も調査したという客殿の内部も見学させてもらったのだが、二階のガラスの耐力壁は、その場ではさっぱりわからなかった。(t)
妙寿寺永代供養墓 正隆廟
設計:内田祥士
竣工:二〇〇二年
場所:東京都世田谷区 北烏山
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