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011 セキスイハイムM1
 
011 セキスイハイムM1011 セキスイハイムM1

 富田玲子さんの話を伺っていると、いったい起こった物事に対して富田さんがとった態度が受け身なのかそうでないのか、ちょっと判別がつかない。
 「もとあった家はね、大正に建った洋館なの。林の叔父が設計したもので、私だけは、壊すのに反対して。こうやって残しましょうとか、色々言ったんだけど、もう皆は十分(住んだ)という感じだったのね。今壊すとなったら、きっと大変ね。プレハブにするということは割とすんなり決まったの。それで義母と住宅展示場へ行って、どうせなら一番プレハブらしいものが良いから、これ下さい、って。セールスマンに15年は持ちますよって言われたのだけど、もう30年よ。」といった具合で、筋を追えばひたすら納得するばかりなのだが、結局のところこの(《セキスイハイムM1》に住むのだ、という)結果が何に起因しているのかは自分で考えるより仕方がない。

 我々は2011年12月現在休業中のカフェ・スペースで、コーヒー片手に菓子をほおばりながら、長谷川町子世界の住人のような富田さんの話にいつの間にか耳を澄ませるばかりであった。彼女が腰かけていた椅子は剣持勇デザイン研究所の《椅子OM5008》(1965年)。量産を目的にして成型合板・ビニールレザー・鉄で作られた椅子を、丹下健三が気に入ったうえにちょっと注文を付け、その後いくつか展開したデザインのひとつだ。つぶれた碁会所で使われていたのを数点、捨てるのならばと貰い受けてブルーの生地に張り替えたのだという。工業化時代、建築家/デザイナーが見た夢の欠片が、起承転結を欠いたままアッセンブルされて洋館時代の家具と並置され、象の住処になっている姿を目の当たりにしているのだ。そう思い至ると、連想は一端停止せざるを得ない。
 日本近代建築/デザインにおける工業化の試みにあった意義とは?などという設問を頭からぬぐい去れない私には、あまりにも自然に青カビの生えた観念を受け流して21世紀に突入している富田玲子を直視して良いのか(もしくは、直視できているのか)分からないからだ。分からないのだが、建築家/デザイナーは彼女のような使い手のプロ(語義矛盾だろうか?)をこそ、理想に描いて図面を引いたのでもあったことは、記憶しておいて良いはずだ。(s)

   
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